ショーの意義

パリ・コレクションの時期が迫って参りましたが、先立ってアンダーカバーから寂しいお知らせが。

ショーアップされた服をまとったモデル達が、音楽に合わせてランウェイを闊歩する様を真剣な眼差しで見る観客。
しかしその服に込められたデザインやディテールを堪能する時間も不十分なままモデルは一瞬のうちに過ぎ去ってしまいます。
あっと思い後ろ姿を追っているうちに次のモデルが、と思っているうちに次が、次が。
気付けばフィナーレ、作品より目立ったデザイナーがバリバリのメイクを施し闊歩する姿には呆れるばかりです。

ということで、今回のパリコレはファッションショーやりません。

Jun Takahashi

ショーというのは、ブランドアイデンティティやシーズンでのイメージを植え付けるには手っ取り早い、故に前衛的なデザイナーにしてみればその発表方法さえも凡庸で月並み。マルタン・マルジェラは斬新なコレクションの発表の仕方にも意欲的で、マヌカンを使ったショーや会場をカフェに設けてバイヤーだけを対象とした発表会を開いたりしている。他方、東京コレクションとかは「勝手がいい」のでしょう。カール・ラガーフェルドに教えられ続け、幻想していたショーに向けてドレスコードに注意を払い、緊張した面持ちで目を輝かせながら開演を待つ学生を尻目に、ふらっとラフな服装で入場してくるバイヤーをみて、または気持良いまでに颯爽と終わるショーをみて、単にビジネスの場に思えた東京コレクションのショーとは、その意義を危惧するには十分過ぎる材料になってしまった。家に帰り、早速ウェブでレポートがされていたのもまた不可思議に思えたりもした。

Thom Browne 2009 Spring

2009春夏ニューヨーク・コレクションが、主会場をマンハッタンの中心部にあるブライアントパークの特設テントに置き、開催された。ウィメンズを中心に回るショーの中に於いて注目したいのは、いま世界で最も注目されているデザイナーの一人、トム・ブラウンのメンズ・コレクション。



チュチュをコートの下に着たスタイルは、既存のスタイルに属さない新しい風を予感させる動揺を呼んだ。トム・ブラウンの象徴的なスタイルでもある、スーツでありながらくるぶしが見えるぐらい短いクロップド丈のパンツも、ショート丈のパンツを腰で履くことで印象を今までと大分違って見せた。それまでの上衣にタイトで丈の短いジャケットを合わせるスタイルも、新しさを求めている印象を与えた。かっちりとしたテーラードに腰履きのパンツを筆頭に、タイトなカーディガンにロングスカート、胸の高さ程までハイウエストなパンツ、チュールが内臓されたコートと、次々と登場する過度に崩れた丈の新しいバランスが、混乱にもにたところから安定を失い、シンメトリーでありながらアシンメトリーに持つ動感を喚起させ、危うく繊細なイメージを誘った。保守的なデザイナーが「易しい服」を作る一方、このメンズ・コレクションでチュールをみて、メンズ・ファッション界の操舵輪を握っているのはトム・ブラウンなのではないかと感じた。一部メディアではメンズ・ドレスウェア界は「トム・ブラウン便乗派」と「トム・ブラウン反対派」に別れると予想するほど、注目のコレクションであったことに間違いない。

トム・ブラウン(Thom Browne)

1965年アメリカのペンシルバニア州生まれ。インディアナ州ノートルダム大学で経営学を学ぶ。
卒業後はロサンゼルスに移って俳優として活動をする。俳優としては満足に活躍できずに、ニューヨークに移って複数のファッションブランドで勤務。アルマーニショールームで販売員の仕事に就いたこともあった。
その後、ラルフローレンが展開するブランド、Club Monacoにてデザインを経験。ここでは数年にわたって勤務するが、デザイナーのラルフローレンとともに働く機会を得たことは貴重な経験だった。
2001年に自身の名を関したブランド「Thom Browne」をスタート。アイテムもスーツ、ニット、ネクタイ、アクセサリーとメンズウェアの中で徐々に範囲を広げていく。
2004A/W、ニューヨークコレクションにて初めてプレタポルテに参加。ここからトムブラウンは一気にブレイク、ファッションのあらゆる賞を総なめにする。2005年、「Fashon Group Inernationl」のライジングスターアワード、メンズ部門賞、2006年、CFDAメンズデザイナーオブザイヤーなど数々の賞を受賞した。
トムブラウンのファッションの特徴は50年代後半〜60年代前半のスタイルと繋がりがある。このアメリカの黄金時代と言える時期のファッションスタイルにインスピレーションを受けたブラウンのコレクションが、ここ数年アメリカで爆発的に受け入れられた。アメトラ(アメリカン・トラッディショナル)をベースにした、カジュアルではない、ややゆったりとしたドレススーツスタイルが特徴的。
2007A/Wコレクションから、ブルックスブラザーズとのコラボレーションで新ライン「ブラック フリース」を発表。トムブラウンはメンズ、レディースともにデザインを担当。これはブルックスブラザーズにとっても初めてのデザイナーとのコラボレーションで記念すべきものだった。
その他メンズジュエリーで、ハリーウィンストンとのコラボレーションも行う。
アメリカではトムブラウンのスーツが1着3000ドル前後、日本円にすると30万円を超える金額にもかかわらず爆発的に売れている。
トムブラウンのポリシーとして「重要なのは人々を挑発すること。クラシックに着想した作品ですが、受け手を違ったように考えさせたいと考えています。コムデギャルソンの川久保玲渡辺淳弥ら、日本のデザイナーも同じことをしているのではないでしょうか」と新聞のインタビューでコメントしている。

H&M上陸

本日9月13日、銀座にH&M(Hennes & Mauritz)の日本第1号店がオープンする。11月8日には原宿店がオープンを控えている。原宿店で注目したいのがComme des Garçonsとのコラボレーションアイテムが日本で先行発売されるということ。銀座店のメーンターゲットがキャリアウーマンやメンズビジネスであるのに比べ、原宿店のメーンターゲットは若年層。

H&Mとコラボレーションしたコレクションは、いままでよりも幅広い層のお客さまに、クリエイティブなファッションと出会っていただけるチャンスだと思います。

川久保玲

「ファッションとクオリティを最良の価格で」と掲げるH&Mが価格設定をどの位置にもってゆくか、安価に走り過ぎた日本アパレル全体が変わることは最早間違いないないようだ。

アウラを嗅ぎ分けて

http://dwks.cocolog-nifty.com/fashion_column/2007/12/post_6ea0.html

嘗てHedi SlimaneがDior Hommeとの契約を継続しない理由の一つとして語ったように、実シーズンの一年前にコレクションや展示会を行うスケジュールが時代のロジスティックに即していないということが、デザイン模倣品を市場に多く出回らせてしまう原因なのでしょう。コレクションの様子は開催後すぐにウェブで見ることが可能で、大手企業からすれば、それからデザインを起こして産地に出向き、中国に発注してコレクションブランドより先に店頭に並べることなんて容易なことなのだから。コレクションや展示会の意義がクリエイションやブランドアイデンティティの発表の場と言う意味合いから、デザイン素材という情報が溢れた模倣するのに恰好の場と変わってきてしまい、今のコレクションスケジュールは時代の道理に合っていない。模倣側の、類似したデザインであっても消費者の需要があれば問題がないというような姿勢は、デザイナーへの対価を軽視している。ファッションを産業としてしか捉えられなくなってしまえば、時代は傑作を生めなくなるしすぐに廃れるだろう。ブランド品にはデザイナーへの対価以外にもデザイン料から膨大な店舗維持費や広告費が含まれていて、原材料(素材)と価格のみを照らし合わせてブランド品の値段を問題にし、安いフェイクを容認するのも同じだと思う。デザイナーは時代(市場)を意識しておくのは当然だが、それが産業という意識に支配されしまっては問題でしょう。
人間の体の形が有限である以上、ファッションデザインとは応用のアートという側面を持ち合わせていると思うけれど、その応用とはデザイン発想元の構成要素の数や配列を変える、単に再構築するというものではないでしょう。恐らく応用とは再解釈するということ。有限の体の形に無限の発想を落とし込む、デザインを有限のものと捉えて机に向かっては様々な配列のバリエーションを考えてばかりいる、きっとそんなあなたはデザイナーではなくエディターです。

ファッションの位相

http://www.afpbb.com/fashion/3215076

ファッションには夫々の国や地域の風習が強く根付いている。パリ・モードは時代時代で過去のスタイルを時に繰り返すが、過去が再解釈されても社会背景はまるで違うのであり、従ってその服自体も新しい時代の表現に外ならない。パリ・モードの20世紀ファッションは「服を脱ぐ」という方向に歩んできた。人間の体という有限の形へ新しい解釈を落とし込む事に挑戦し続けてきたパリ・モードが存在する一方で、女性の肌を晒す事を許さない地域では今でも大きな布を体に纏い続けるファッションが存在する。本当の意味での「先端ファッション」とは差し詰め存在し得ないのだろう。未曾有のスタイルが登場したからといって、ファッションのカテゴリーが一方的に増え続けるだけであり、その既存じゃないスタイルが決して「先端」でという訳ではない。「アヴァンギャルド」にカテゴライズされるスタイルであるだけなのだ。エスニック衣装を応用したスタイルが時に登場する最新コレクションで、そのスタイルを「先端」と称すのは、実に奇妙な文言に思える。それが「先端」で居られるのは、新しい解釈を求め続けるパリ・モード界の内のみでの話なだけだから。

リアルタイムComme des Garcons

GANRYUラインをスタートさせたComme des Garcons、一つ前のシーズンの商品を見てみたけれどどう転んでもComme des Garcons自体を道連れで終わったと思う。Comme des Garconsパタンナーを経て独立しているデザイナーは数多くいるけれど、どうしてGANRYUはComme des Garconsのラインとしてスタートしたのか意味が分からない。Junya Watanabeやtaoは分かった、でもGANRYUは全然分からない。2007年、川久保玲から「やってみないか」と声を掛けられてスタートした丸龍文人のGANRYU、若過ぎるしその若いパワーが安い。きっと売れる服作りをしている。Dress Campの元デザイナー岩谷俊和が以前の特別講義で話した内容、「ブランドとして一番注意を払っているのは、ブランドイメージがチープに成ってしまわない事」、それってブランドの生命線。今までComme des Garconsが見せてきたのは「安く見せて安くない」そんなアプローチ、引き換えGANRYUは単に「安い」。Undercoverの高橋盾がストリートで活躍していたころ、才能を見出してモードに引っ張るのに一役買ったのが川久保玲だという。一躍パリコレクションの若きデザイナーとして認められたUndercover、ではどうしていま、Comme des Garconsはブランドを引っ張って、ストリートに手を伸ばそうとしだしたんだろう。NIGOA BATHING APEに任せておけばいいものを。アティテュードどしてクリエートしたって、ストリートのイメージに飲まれてしまうだけだと思う。Speed社のLZR RACERH&Mのコラボレーションといい、2008 F/Wのコレクション「悪趣味」といい、今のComme des Garconsが私には全く理解出来ない。タイムラグを経てみて理解出来たとしたら、Comme des Garconsに圧巻する

ツールとしてのブランド

http://secretbase2004.blog11.fc2.com/blog-entry-1373.html

ハイブランドが不可思議なコレクションを開いたらその不可思議さえ肯定されてしまうことに違和感を覚えるかも知れない。凡庸な人間がする野暮な提案をハイブランドが同様にやってみせれば、ブランドネームの力を借りて認められるであろう事が納得いかないと。でも詰まりはそういう事、凡庸な人間に足りないのはブランド力、縦んば素晴らしい提案でもヒントが必要。面白い発想は日常、皆が常に考えているでしょう、それを一般化する為に独創力が求められる。前衛アートがその作品の本質の理解以上に、その活力と過程に魅力の多くを依存している様に、その「トンデモ」を認めさせる為にブランドネームを存分に駆使して気付かせるべき、欺瞞するべき。主流のカルチュアと対抗して位置するサブカルチュア、カウンターカルチュアをハイカルチュアに押し上げる、それがハイブランドには出来るのだし、試みるべき一つの役割なら、ハイブランドが提案した不可思議に面白みを感じれば素直に認めるべき。ファッションは時代と共に繰り返すけれど、以前の侭の同一解釈では、その本来の魅力だって逓減されてしまう。一般の美意識に目一杯近づける芸術と同時に、一般の美意識から目一杯遠ざかったところに追いやるのまた芸術、時代の変化を作為的に狙わなければ。酷評は偽装された賛美に違いない。而して、村上隆なんかを似非者だと往なすのは間違っている。村上隆を芸術家じゃないと言わしめるなら、それはアンディー・ウォーホルを否定するのと根底は同じなのではないか。「芸術家」というブランドがあったから海外で受け入れられた、オタクは表層的に気に食っていないだけ。