ショーの意義

パリ・コレクションの時期が迫って参りましたが、先立ってアンダーカバーから寂しいお知らせが。

ショーアップされた服をまとったモデル達が、音楽に合わせてランウェイを闊歩する様を真剣な眼差しで見る観客。
しかしその服に込められたデザインやディテールを堪能する時間も不十分なままモデルは一瞬のうちに過ぎ去ってしまいます。
あっと思い後ろ姿を追っているうちに次のモデルが、と思っているうちに次が、次が。
気付けばフィナーレ、作品より目立ったデザイナーがバリバリのメイクを施し闊歩する姿には呆れるばかりです。

ということで、今回のパリコレはファッションショーやりません。

Jun Takahashi

ショーというのは、ブランドアイデンティティやシーズンでのイメージを植え付けるには手っ取り早い、故に前衛的なデザイナーにしてみればその発表方法さえも凡庸で月並み。マルタン・マルジェラは斬新なコレクションの発表の仕方にも意欲的で、マヌカンを使ったショーや会場をカフェに設けてバイヤーだけを対象とした発表会を開いたりしている。他方、東京コレクションとかは「勝手がいい」のでしょう。カール・ラガーフェルドに教えられ続け、幻想していたショーに向けてドレスコードに注意を払い、緊張した面持ちで目を輝かせながら開演を待つ学生を尻目に、ふらっとラフな服装で入場してくるバイヤーをみて、または気持良いまでに颯爽と終わるショーをみて、単にビジネスの場に思えた東京コレクションのショーとは、その意義を危惧するには十分過ぎる材料になってしまった。家に帰り、早速ウェブでレポートがされていたのもまた不可思議に思えたりもした。