アウラを嗅ぎ分けて

http://dwks.cocolog-nifty.com/fashion_column/2007/12/post_6ea0.html

嘗てHedi SlimaneがDior Hommeとの契約を継続しない理由の一つとして語ったように、実シーズンの一年前にコレクションや展示会を行うスケジュールが時代のロジスティックに即していないということが、デザイン模倣品を市場に多く出回らせてしまう原因なのでしょう。コレクションの様子は開催後すぐにウェブで見ることが可能で、大手企業からすれば、それからデザインを起こして産地に出向き、中国に発注してコレクションブランドより先に店頭に並べることなんて容易なことなのだから。コレクションや展示会の意義がクリエイションやブランドアイデンティティの発表の場と言う意味合いから、デザイン素材という情報が溢れた模倣するのに恰好の場と変わってきてしまい、今のコレクションスケジュールは時代の道理に合っていない。模倣側の、類似したデザインであっても消費者の需要があれば問題がないというような姿勢は、デザイナーへの対価を軽視している。ファッションを産業としてしか捉えられなくなってしまえば、時代は傑作を生めなくなるしすぐに廃れるだろう。ブランド品にはデザイナーへの対価以外にもデザイン料から膨大な店舗維持費や広告費が含まれていて、原材料(素材)と価格のみを照らし合わせてブランド品の値段を問題にし、安いフェイクを容認するのも同じだと思う。デザイナーは時代(市場)を意識しておくのは当然だが、それが産業という意識に支配されしまっては問題でしょう。
人間の体の形が有限である以上、ファッションデザインとは応用のアートという側面を持ち合わせていると思うけれど、その応用とはデザイン発想元の構成要素の数や配列を変える、単に再構築するというものではないでしょう。恐らく応用とは再解釈するということ。有限の体の形に無限の発想を落とし込む、デザインを有限のものと捉えて机に向かっては様々な配列のバリエーションを考えてばかりいる、きっとそんなあなたはデザイナーではなくエディターです。